2009年07月10日
【ウラ物語VOl.8】引き金

第2部 足跡 ※第1部はコチラから ※第3部はコチラから ※第4部はコチラ
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第1話(7月10日) 引き金
第2話(7月13日) 第1回
第3話(7月17日) 第2回
第4話(7月20日) 第3回
第5話(7月24日) 第4回
第6話(7月27日) 第5回
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見えていないだけで、私たちが暮らす日常には、
山のようにトリガー(引き金)が待ち構えているのだと思う。
たとえば、第1部で書いてきた数々も、
何も感じない人にとっては、
「そういえば、昔はそんな景色があったよね」という程度だろう。
でも、同じ物を見ていても、ひっかかる人にはひっかかる。
出会ってしまった、というこの感じ。
よくわからないけど、何かソコから離れられない。
あなたにも経験ないだろうか?
しかも、幸か不幸か、いったん引き金をひいてしまうと、
次から次へと、いろんな出会い、チャンス、が舞い込んで
生まれた時から、その引き金を引くことになっていたんじゃないか、
という気さえしてくる。
たぶん、そういう人は世間一般のレールからはずれている。
でも、私は、その「引き金をひいちゃった人」の類が好きだ。
林太郎が、KOSHIKI ART PROJECTの引き金を引いたのは、
2003年6月のことだった。
「2003年6月で、僕絵を描くのやめたんですよ」
お寺の住職から大絶賛された鶏の絵の描き手が、絵を描くのをやめたと言う。

東京造形大学2年生のころだ。
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2009年07月13日
【ウラ物語Vol.9】第1回

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第1話(7月10日) 引き金
第2話(7月13日) 第1回
第3話(7月17日) 第2回
第4話(7月20日) 第3回
第5話(7月24日) 第4回
第6話(7月27日) 第5回
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島入り:7月25日
展覧会開催:8月14日~8月27日
2004年7月25日。
第1回 KOSHIKI ART EXIBITION(展覧会)に参加するため、
15人のアーティスト達が甑島にやってきた。
交通費はみんな自腹。
林太郎が、自分の周りの先輩や友人たちに
「展示の場さえ与えられないアートの世界を変えたい」と語ったり、
「南の島で合宿するから!」と口説き落としたりして、
東京造形大学から13人、多摩美術大学から2人を連れてきた。
元来おもてなし大好き、な島の人たち。
実際に若者が島にきたら、歓迎ムードで迎え入れてくれた。
空き家や公民館で自炊生活を営む予定だったが、
連日のようにあちこちから「お呼ばれ」された。
しかし、7月末から8月中旬までの約2週間で、
自分の作品を作り上げなければならない。
遊んでばかりもいられなかった。
どこに作品を展示するか、島の素材は何を使うのか。
真剣勝負の火ぶたが切って落とされた。

2009年07月17日
【ウラ物語VOl.10】第2回

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第1話(7月10日) 引き金
第2話(7月13日) 第1回
第3話(7月17日) 第2回
第4話(7月20日) 第3回
第5話(7月24日) 第4回
第6話(7月27日) 第5回
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島入り:7月後半
展覧会開催:8月14日~8月21日
2005年。第2回目の「甑島で、つくる。」
福岡、京都、東京から合計27人の学生達で実行される。
第1回目と大きく違うのは、アーティスト以外に
12人のスタッフボランティアチームが参加したことだ。
彼らの名前はSOW。
創る、種をまくの意味を持つ英単語「sow」と、
付き添うの「sow」。
文字どおり、アーティストたちに付き添い、
汗水流して作品を創ってきた。
4月に結成され、遠隔地にいるスタッフ同士が、
インターネット上の掲示板で話しあいが進められた。

名前は知ってるけど、顔は知らないという状態が約4か月続き、
甑島で、初体面、そのまま約一か月共同生活に突入する。
出会ってすぐの彼らの緊張をほぐすきっかけになったのが、
8月2・3日に行われたワークショップだ。

2009年07月21日
【ウラ物語Vol.11】第3回

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第1話(7月10日) 引き金
第2話(7月13日) 第1回
第3話(7月17日) 第2回
第4話(7月20日) 第3回
第5話(7月24日) 第4回
第6話(7月27日) 第5回
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2006年の第3回目は、作品を展示する「展覧会」はやらなかった。
このプロジェクトを始めた時から、計画済みだったという。
「2006年はちょうど、就職活動するのか、大学院に行くのか決めなきゃいけない時期。
立ち上げた時点で、とりあえず2回はやれるけど、3回目の時期は実施できるか不安がありました。
だから、いっそのこと3回目はいったん辞めてみようって思ってました。
やめることで、島の人達が『展覧会』をどう思ってくれてるのか知ることができると思ったんです」
展覧会の代わりに行ったのが、「藁(わら)でお面をつくろう」というワークショップだった。
個々のアーティストが作品展示を行う展覧会よりも、
アーティスト全員がそろって1つのことをするワークショップの方が、
事務作業の負担が少なくて済む。

このワークショップ『ヴェネチアの仮面祭』が、ヒントになって生まれたという。
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2009年07月26日
【ウラ物語Vol.12】第4回

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第1話(7月10日) 引き金
第2話(7月13日) 第1回
第3話(7月17日) 第2回
第4話(7月20日) 第3回
第5話(7月24日) 第4回
第6話(7月27日) 第5回
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展覧会を辞めてみて、島の人の反応を知りたかった、のが2006年。
そうかと思えば、過去最高人数のアーティストを呼んできたのが2007年である。
2007年の展覧会での、アーティスト参加者数は45人だ。

ケンタの通う京都造芸術大学の学生約20人と、
林太郎が通う東京造形大学の学生とその仲間約20人。
「ちょうど甑島に行きたいっていう人がこの年増えたんですよ。
で、どこまで人を呼べるか試してみようって思いもありました」
毎年、毎年が実験である。
走りながら正解を探してきたプロジェクトだったのだと思う。
で、フタを開けてみたらどうだったか。
「本当、大変でした。ケンタがこの年、体調崩して入院することになって、
僕一人で45人のアーティストをみなきゃいけなかったんですよ。」
さすがに、林太郎はこの年自分の作品を創る時間はなかった。
見てください、この作品数。(これでも半分くらいです)

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2009年07月27日
【ウラ物語Vol.13】第5回

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第1話(7月10日) 引き金
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成人式で、檀上から読み上げた謝辞の一文。
「海外のアーティストや美大生も参加できる国際的なプロジェクトにしたいです。」
その5年後。2008年に、早くも、海外の美大生が甑島にやってきた。
「2007年に藤原 勇輝さんというアーティストのアシスタントでスペインに行ったんです。
スペインまで行って、のこのこと帰ってくるわけにはいかないと思って。
KOSHIKI ART PROJECTの冊子を持って、在バルセロナ日本国総領事館や、
知りあいのところに説明に回ったんですよ。
『スペインの宣教師が鹿児島にきた歴史もあるし、甑島に学生来れませんかね?』って感じで」

※Google Earthバルセロナより引用
アーティストを招き、その土地に滞在しながら作品制作を行う事業のことを、
「アーティスト・イン・レジデンス」と呼ぶ。
KOSHIKI ART PROJECTの活動も、レジデンスに含まれる。
アートに対する意識は、日本よりもヨーロッパの方が圧倒的に高い。
大きな展覧会に発展していく為には、海外とのつながりが必要だと思っていた。
実際に、日本の田舎のきれいな島で展開されるレジデンスに、
興味を示してくれる人も多かった。
実際に腰を上げてくれたのがバルセロナ大学の教授だった。
バルセロナ大学で版画を学んでいるスペインの女子大生4名が、
2008年KOSHIKI ART EXIBITIONに参加することになったのである。
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