2009年07月13日

【ウラ物語Vol.9】第1回

【ウラ物語Vol.9】第1回

第2部 足跡  ※第1部はコチラから ※第3部はコチラから ※第4部はコチラ
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第1話(7月10日) 引き金
第2話(7月13日) 第1回
第3話(7月17日) 第2回
第4話(7月20日) 第3回
第5話(7月24日) 第4回
第6話(7月27日) 第5回
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島入り:7月25日
展覧会開催:8月14日~8月27日


2004年7月25日。
第1回 KOSHIKI ART EXIBITION(展覧会)に参加するため、
15人のアーティスト達が甑島にやってきた。

交通費はみんな自腹。

林太郎が、自分の周りの先輩や友人たちに
「展示の場さえ与えられないアートの世界を変えたい」と語ったり、
「南の島で合宿するから!」と口説き落としたりして、
東京造形大学から13人、多摩美術大学から2人を連れてきた。


元来おもてなし大好き、な島の人たち。
実際に若者が島にきたら、歓迎ムードで迎え入れてくれた。
空き家や公民館で自炊生活を営む予定だったが、
連日のようにあちこちから「お呼ばれ」された。


しかし、7月末から8月中旬までの約2週間で、
自分の作品を作り上げなければならない。
遊んでばかりもいられなかった。

どこに作品を展示するか、島の素材は何を使うのか。
真剣勝負の火ぶたが切って落とされた。


【ウラ物語Vol.9】第1回

■ 島の人とアーティストをコーディネートする。

アーティスト達が最初にやることは、島の空き家や倉庫、砂浜など
展示が出来そうなところを見て回ることだ。
林太郎が皆をひきつれてガイドして回る。

「あらかじめ、この人だったらこの場所に興味もつんじゃないかとか想像しておくんですよ。
それがどんぴしゃにはまる事もあれば、全然当たらなかったりするんですけど。
でも、とにかく全員のアーティストに、場所を見つけてもらう事がボクの仕事です

場所が決まれば、今度はそのアーティストの作品の構想を聞く。
そしてその作品づくりに、関わりが深そうな島の人を紹介してゆくのだ。

島の人に詳しいのは、やっぱり年の功!祖父の平嶺時彦さんが大活躍だ。
「それをやるなら●●がいいよ」
と、次々と島の人とアーティストをつなげてゆく。

島の人とアーティストがつながって、完成した作品の一つに
鈴木敦博さん(当時24歳)の作品、トリックスターハウス~収納小屋~がある。

【ウラ物語Vol.9】第1回

収納小屋は、里弁で「シュノウゴヤ」と言う。

シュノウゴヤはわらで出来きており、
米、麦、サツマイモなどの保管に使われていた。
鈴木さんは、その昔から伝わるシュノウゴヤを再現し、
小屋の中に、子どもたちと作った絵や作品を飾りたいと考えた。

しかし、その小屋を作るのは容易ではない。
島に来て数日の若者に、簡単に作れるようなものではなかった。
そこで、手を挙げてくれたのが4人の島のおじいちゃんだ。
鈴木さんと島の人達との共同作業で、作品は日の目を見ることになる。

【ウラ物語Vol.9】第1回



鈴木さんのように、コーディネートによって島の人と関わる事例もあれば、
思いもがけず、島の人が助けてくれたケースもある。

大田黒 衣美さん(当時24歳)は、
田んぼの真ん中に、作品「ジン」を展示した。

海よりもたらされた「さら砂」と、人が耕してきた土を使い、
それぞれ二つのブルーシート上に絵を描いたものだ。

【ウラ物語Vol.9】第1回

上記写真。

作品の横で、曲がった棒が作品を支えているのが分かるだろうか?
実は、これは島の人達が作ってくれたものだった。

お盆過ぎから秋にかけて、台風がやってくるのは鹿児島のお決まり。
その台風の威力が、さえぎる物がない田んぼに作られた、この作品に直撃した。
暴風で作品は飛ばされてしまうのだ。

それを見ていた、島の人達が、強風が吹いても飛ばされない支え棒で、
もう一回作品を展示し直してくれた。
台風の中、暮らしてきた島の人の生活の知恵が活かされている。


■ 作品が伝えるメッセージ

島の人達に助けられながらの、展覧会。
アート、という言葉になじみが薄かった島の人たちも
作品を見ながら、島の人独自の感性で作品を鑑賞するようになる。

「きっとこれはこういうメッセージが込められてるに違いない」

と、「ああでもない」「こうでもない」と寄り集まって
話し合っている様子は、想像するだけでも楽しい。

面白かったのが、鎌倉 明弘さん(当時23歳)の「炎のせんたく」のエピソードだ。


【ウラ物語Vol.9】第1回


2004年のこの年。ちょうど、
島ではゴミの分別が厳しくなっている頃だった。
島に滞在したアーティスト達もゴミの分別で叱られたこともあったようだ。

その様子を見ていた島の人達は、この作品をみて
「島をもっと綺麗にしよう」というメッセージが込められているものと感じとった。


鎌倉さんご自身は、そのようなメッセージを込めようと
意図した訳ではなかったようだが、それがアートの面白さ、だと思う。

 作品をみて、どんなメッセージを受け取るか。
それは、受け手の人の感じ方次第で正解なんてない。

表現の自由、なんて言葉より、
この作品たちの方がはるかに雄弁にそれを物語っている。


「お父さん、炎って洗濯できるの?」
と、尋ねてきた子どもが絶対いただろう。その時、大人は何て答えただろうか。

この作品を目の前にして、
「水をかけたら炎は消えるんだよ」
至極全うに答えることが、急激に味気なく、罪のような気さえしてくる。

こんな作品を毎年見て育つ子ども達は、
どういう風に育つのだろうとワクワクする。


島の人達がアーティストの作品づくりを手伝い、
今度は、アーティスト達が作品を通じてメッセージを投げかける。

島の人と島外の若者達は、アートを媒介に、一緒に汗を流し、
言葉よりも深いところで、メッセージをやりとりしている。


■大成功、でした。

「2004年の第1回を終えて、どう思った?」
と聞くと、上の言葉が帰ってきた。

展覧会が島でできたって事だけで、もう十分大成功です。
家族には、本当に迷惑をかけ通しだったんですけど。。

でも、振り返ってよくやったな~って思います。
空き家を借りる交渉、宣伝、アーティストのコーディネート、
そういう事務局機能に加えて自分の作品も作らなきゃいけなかったんで。」

何もかも初めての中、実行していく事が、どれだけ大変だったか。

「失敗するんじゃないか、とか不安にならなかったの?」
と聞くと「全然」と即答される。

「上手くいかなかったら『やっぱ無理でした~』って言えばいいやって思ってました」

笑。

肩に力が入りすぎず、でも手を抜かず、のこんな姿勢が、
周囲の人を巻き込んできたんだな、と思う。

やってみなきゃ分からない。
とりあえず、できるところからやってみる。

第1回の話を聞いて、その大切さを改めて教えられた気がする。


【ウラ物語Vol.9】第1回

※第1回展覧会参加メンバー集合写真

※2004年の様子は、こちらのHPからもっと詳しく見ることができます。


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